割り切るのも勉強

疑問に思うことを徹底的に考えるのも勉強ならば、答えのないことを割り切るのも勉強ですが、そのバランスが取れてないとうまくいきません。

徹底的に考えるのも勉強

勉強するにあたって、徹底的に考えることは大事なことです。

疑問のまま放置すると、どんどん分からないことが積み重なって、「何が分からないか」も分からなくなってしまいます。

一つ一つの論点をしっかりと潰していく、その積み重ねが重要なのは、子供の頃からしっかりと勉強してきた人ならば、経験則として身に染みついていることでしょう。

割り切るのも勉強

ただ、社会に関する学問は割り切ることができないことも多いものです。

社会科学全般についてもいえることですし、我々が日ごろ取り扱っている、税務や会計などもその代表格です。

そもそも、そういった税務や会計などは、学問的に成立している面もあれば、長年培われてきた慣習などから成り立っている部分もあるので、理屈が通らないところはあります。

ということは、いくら考えても分からないから、割り切るしかない。

徹底的に考えないと割り切れない

何を割り切って、何を考えるのかというのが、税務や会計では重要です。

それを知るには、徹底的に考える必要があります。

矛盾するようですが、様々なことを自分の頭でしっかりと考え抜いて、理屈の通る部分とそうでない部分を峻別していく。

人に聞いてはいけません。なぜなら、考える部分や理屈の通る部分とそうでない部分を峻別していくセンスのようなもののは、その積み重ねからしか養われないからです。

経理の現場では教えてくれないという声もあるが

経理の現場では、先輩などに聞いても教えてくれないという声もよく聞こえてきます。

個人的には、考えるとかそうでないとかの以前の問題であれば、例えばソフトをどう操作するとか、そんなのは教えた方が早いし間違いもないので、教えるべきだと思います。

一方で、税務の深淵に関わるようなことは自分で考えなければならないとも思うわけです。
考えないと、どう割り切るのか、どこを割り切るのかも判断がつかない。

意固地になりすぎてもダメ

自分で考えることは最も大切なのですが、意固地になりすぎるのも問題です。

謙虚に学ぶ姿勢というのが大事だなと、個人的にも日々痛感するのわけですが、ある程度勉強が進むと分かったような気になってしまい、基礎とかを疎かにしがちになります。

自分の考えに固執し過ぎたり。

よく見かける失敗は、例えば勉強で基礎と応用があるときに、何年もやっているから基礎は分かった気で応用だけをやろうとする。

結果、基礎の間違った部分にずっと気づかない…という。

謙虚に学ぶ必要性がわかります。