物事を習得するためにする勉強は、時間では測れない側面もあります。
量をこなさなければならない
人が物事を習得するためには一定の時間を費やさなければなりません。
練習量をこなさなければモノにならないのは、あらゆる物事に共通しています。
プロ野球選手も、ミュージシャンも、税理士などの国家資格も、そこに至るまで多くの練習量をこなしています。
一万時間の法則
人が物事を習得するためには、何であれ約一万時間費やさなければならないという有名な法則がありますが、量をこなさなければならないという点では、なるほど一定の真実を含んでいると思います。
ただ、時間だけで考えるのはいささか危険な面もあるかと思います。
人によって習得の時間が違うのは
センスなど向き不向きによって、物事を習得する時間に違いはあるでしょう。
ただ、向いてるか向いてないかはやってみないと分からない面もあるので、センスで片付けるのも早計です。
個人的に今まで様々な人を見てきて思うのは、「意識の差」です。同じ時間勉強していても、身につく・つかないの差が現れるのは、意識高く勉強しているか・いないか。(商売は、それに加えて運も大きく絡むのでちょっと違うかと)
時間の密度(質)を考える
勉強時間で思うのは、ひとくちに一時間勉強したと言っても、極限まで研ぎ澄ました集中で勉強した一時間と、ただ何となく漫然と過ぎた一時間では天と地ほど違いがあるということです。
質の悪い勉強であれば時間をかけても、脳にとどまる知識量に差が出るのは当然。
会計っぽく言えば、集中せずに勉強するというのは知識の歩留まりが極めて悪いということです。
◯時間やっても身につかない
様々な物事には、習得するまでの標準的な時間があり、ネットなどで調べればすぐにわかるようになっています。
一方で、その時間を費やしても身につかないということもあります。
結局、時間で測っても、その質が悪ければもっと多くの時間を費やさなければならないわけで。
専門職は、クライアントからタイムチャージで報酬を受けることもありますが、タイムチャージが高いのは時間当たりの密度の濃いサービスや知識や助言を提供するから、ということを鑑みれば、勉強においても極限の集中を、発揮しなければならず、時間だけを問題するのは危険でしょう。
若いうちの苦労は買ってでもしろというが
若いうちの苦労は買ってでもしろ、という格言がありますが、苦労というのは時間当たりの経験値の密度が極めて濃いことを言っているのでしょう。
人より先んじたければ、成功したければ、となれば人よりも多くの濃い経験値を、つまなければならず、楽して濃い経験値は詰めませんから、苦労を買ってでもしろ、と。
なるほど、昔の人は経験則からも、時間だけでなくその密度も考えていたんだなと、納得させられます。