何事も完璧に仕上げないと気が済まない「完璧主義」ですが、悪いことではないと思いますが、中途半端なら最悪ですから、どこかで「割り切り」が必要になります。
完璧を求める姿勢は大事だけれど
完璧というのは、傷のないキレイな玉のことだとか(後述)。仕事や勉強で「完璧」を求めていくのは姿勢としては素晴らしいと思います。
完璧にこなすと、達成感も得られるし、更なる向上心が湧いてきますので。
姿勢としては、大事だと思いますが、現実問題として「完璧」というのは難しいのもまた事実ですから、何処かで折合いをつけなければなりません。(言い換えれば、割り切りとも言えます。)
中途半端なら最悪
仕事でも勉強でも、完璧を求めるあまり、完璧さが維持できなくなると嫌になって、やめてしまうというケースも見かけます。(途中で投げ出してしまう時点で、すでにやる気や意欲が完璧ではないという無粋なツッコミは控えておきます)
ただ、机上の空論ならばともかく、実学に属するような学問であれば、何もかもすべてを完璧に仕上げるというのは難しい。
勉強であれば、自分が損害を被るだけなのでまだマシともいえますが、仕事だと他の人が穴埋めしなければならないので大変です。
また、完璧を他人にまで強要して、仕事の要求水準を異常なまでに上げてしまいパワハラ紛いなことをするというのも目にしたことがあります。
こういった「中途半端」な完璧主義は迷惑なだけなので即刻やめた方がいいですし、やめないと孤立してしまいます。
完璧は「うまく折合いをつけてやりきること」
完璧とは瑕(きず)のないきれいな玉がその由来だそうですが、中途半端な独り善がりの完璧主義は「皺寄せ」が別のところに行ってしまいます。
皺があれば「完璧」ではないでしょう。
皺や瑕をつけないようにするには、全体を見ながら折合いを上手くつけなければなりません。
そして、仕事であれ勉強であれ折合いをうまくつけながら「やりきる」ことです。やりきらないと、玉にはなりません。半円やら楕円やら…
初めからなんでもが上手くいくわけではないわけで、そこで投げ出さず、やりきることで完璧になるのではないかと。
余談ですが、子供の頃に誰でも一度は作った覚えのある泥団子。最初はいびつな形で、表面もボコボコですが、ずっと捏ね続けていると次第にきれいな円形になり、表面もスベスベになりました。
完璧ってそうゆうことなのかなと。最初からきれいな皺や瑕のない玉とするのでなく、やりきることで皺や瑕が無いようにすると。