商売にしろ勉強にしろスポーツにしろ、真似から入るということはありますし、有効ではありますが、「うわべ」だけを真似てもダメなのですが…
真似から入る
真似から入るという方法は、ある程度完成された方法論から入れるので、失敗しづらいという点では有効です。
全く何もない「0(ゼロ)」を「1」にするのが大変なように、真似から入るとゼロからのスタートではありませんから、時間やお金などの資源を有効に活用できます。
どこかで卒業しないと
ただ、真似から入るのは最初だけで、後の創意工夫・試行錯誤は自分でしなければ、それは単なる「パクリ」でしかなく、オリジナルの劣化したコピーにもなりません。
というのも、商売にしろ勉強・スポーツ・料理…さまざまな物事は真似から入るのが無難で手っ取り早いですが、どこかで卒業しないと、劣化したコピーはすぐダメになります。
スポーツ(野球)でいえば、最初は何もわからないから人に勧められるやり方で打っていたけれど、自分自身で考え試行錯誤・創意工夫を重ねて、自分の技術として体得する。
いつまでも最初の教えのままやっていても、対戦相手も研究し研鑽を積んできますから、いつまでもは通用しないし、技術は徐々に進化していきますから、自分でも研究しないと取り残されます。
「うわべ」だけを真似てもダメ
上辺だけを真似ても、本質が体得できていないと、すぐに見失ってダメになります。
本質をわかっている人であれば、自身の方法論が確立されていますから、スランプは一時的で、わりとすぐに復調します。
一方、上辺だけを真似ていると、周りが進んでいって取り残されたときに、メッキが剥がれてダメになる。
結局、最初は真似から入っても、自分自身で試行錯誤や創意工夫を重ねていかないと、何も体得できないということです。
キャラクターが違うので
自分自身で試行錯誤したり創意工夫することが何故必要かというもう一つの理由として、人によってキャラクターが違うことが挙げられます。
同じような筋トレをしても筋肉のつきにくい体質の人もいれば、逆の人もいる。筋肉も体質によって付きやすい部位も異なります。
体質が違うから、その人に合ったトレーニングをしないと怪我をするし、体質に合ったポジションや役割を見つけないと活躍できません。
これはなんでも同じで、その人に合った方法論は、結局のところ自身で見つけないといけないわけです。
真似から入っても、どこかで自分自身に合うようにアジャストしていかないと、真似た方法は、それを創り出した人に最も合うようになってますから、真似はいつまでもは続けられないのです。