税理士事務所にある「聞いてはいけない」という雰囲気の正体

税理士事務所(あるいは会計事務所)の新人が困ることとして、「聞いてはいけない」という空気感が充満しているということがあげられます。

新人の受け入れ態勢がキチンとしていない

大きな会社であれば、毎年新人が入ってくるので新人の教育制度が整ってい(ると思われ)ますが、会計事務所は中小零細ですから、新人が毎年入ってくるわけでもないので、新人の教育制度が整っていません。

ですから、教える側も不慣れであるというのがまず前提としてあります。

人にモノを教えるというのは圧倒的に経験がモノを言いますから、教える側に悪気はなくても緊張とかが教えられる側にも伝わってしまうのでしょう。

教える側もまともな教育を受けていない

旧来の税理士事務所では、新人を受け入れる体制が整っていないのですが、これは見方を変えると、教える側もまともな教育を受けていない(受けてこなかった)ということでもあります。

「まともな」というと語弊がありますが、秩序立てて説明をし、段階を踏んで新人のレベルを上げていくというような教育でなく、所謂OJT的な教育しか受けていない。

大抵の人は、自分が教えられたようにしか人に教え(られ)ませんから、「ダメな」教育が受け継がれるわけです。

教える側も忙しい

もちろん、みんながみんなダメな教育を受けたからといっても教えるのがヘタクソということはなく、中にはダメな教育を受けても、自分なりに研鑽を積んで、しっかりと技術や知識を培った人たちもいます。(長く活躍されている方々はそういったことです)

ただ、そういった人たちは「優秀が故に」多くの仕事を抱えています。これは世の常で、優秀な人ほど仕事を振られてしまいます。無能な人間に仕事を頼もうとは考えません。

教える側に能力や知識があっても、時間がなければ、機能しません。
本来、教える側は聞きやすい雰囲気を作るのも能力のうちなのですが、そんな余裕がないという悲しい現実が立ちはだかるわけです。

自分が新人の頃を忘れている

ベテランにありがちなのが、自分が新人の頃のことを忘れています。

ベテランは何年もやっていますから、新人の頃のことが忘却の彼方なのです。

悪気はなくても、「このくらいわかるだろう」と思ってしまうのです。
初心忘るるべからずとはいうものの、忘れてしまう。

教えられる側の能力がわからない

教える側が、教えられる側の能力などを適切に見積もることができないという問題もあります。

この業界は、みんながみんな税理士ではありません。もちろん親方は税理士でないと違法ですが、職員にはまだ勉強中の人もいれば、諦めた人も中にはいます。

また、税理士であっても試験を通った人もいれば試験を通らず大学院経由で税理士になった人もいるのです。さらに、試験を通った税理士でも、合格科目が違うことがあります。

となると、例えば、まだ勉強中の人は試験に通った人の力量がどのくらいかは見積もれません。
試験に通っていても実務経験がなければ、役に立たないということもあります。

だから、教えられる側の力量がわからないと、教えにくいというのは少なからずあります。
さらに、相手の力量が分からないと、迂闊なことが言えないという、ちょっと見栄とかそんなのが入り混じって、しまうということも。

「自分で考えなければならない」思想

専門家の事務所では、「自分で考えなければならない」思想が蔓延しています。

「自分で考えなければならない」思想とは、専門家を目指すものは、自分の頭でキチンと物事を考え、身につけなければならないという考え方です。

当然といえば当然で、分からないからとすぐに他の人に聞くというのは、クライアントの目前ではできないし、それだったら「お前要らんがな」と皆から思われますから。

ですから、自分で考えず、すぐに他の人に聞くという姿勢=楽をして他人の知識の上前を撥ねると思われるのでしょう。少々手厳しい言い方をすれば、専門家は知識が商品ですから、知識やノウハウの剽窃は当然のことながら蛇蝎の如く嫌われます。(一方で、自分で全てをカバーできないのでお互いに教え合うというのは良いことだと思うのですが)

バランスが難しい

「自分で考えなければならない」というのは専門家及びその卵には、当然の姿勢です。

自分の頭で考えないと、本質を掴めないし、本質が掴めないと、クライアントの役になど立とうはずがありません。

ただ、「新人に」考えなさいというのをどこまで求めるのか?は難しい。

それこそ、先程の話ですが、ベテランは自分が新人の頃を忘れてしまっているので、新人のレベル感や不安などが分からない。新人には、自分で考えなさいも大事だし、考えさせず教えなければならないポイントもあります。

結局、教え慣れてないとこのポイントは分からず、教える側は大抵教え慣れてませんから、このバランスを失してしまうのでしょう。

人間関係を構築する

教える・教えられるというのは、どちらにも相当な圧力がかかります。

お互いの人間関係が構築されていれば、相手の人となりや能力などが把握できていれば、教える側も教えられる側も、その圧力が和らぎます。

そういった人間関係がなく、教える・教えられるとなれば、分からないことも聞きづらいし、その気持ちが澱のように溜まっていけば「聞いてはいけない」といった空気になるのです。

教えられる側の立場からすると、そういった圧力がかかりにくいように、可愛がられる人間性みたいなものはあったほうがいいかもしれませんし、その圧力を加味しても教える側と合わなければ、サッサと辞めてほかにいくのも選択肢です。

大きな声では言えませんが、どこの世界にもなかなか「立派な」人間性をしている人はいますので。